西洋では自己の確立は重要だ。
日本では自己を確立するより、関係性の中で自己の位置を探る。
自己を明確にしないのだ。明確でないものを主張することは出来ない。
日本では、自己を主張する状況になると、正否の論になり、自己の正当性を押し付ける場合がある。
互いに主張し合い理解して受け入れる、というプロセスはあまり見られない。
海外の人を見ていると、自己や自国の文化について明確に誇らしげに主張する。
それに比べると、日本は控えめだ。
誇がないわけではない、ただ自己や自己を育む文化についての明確な主張のし方が浮かばない。
なので、異文化に触れた時、上手く自己主張ができないため戸惑う。
西洋では自己の確立、アイデンティティーの確立は重要だ、自分という存在を明確にし、自己を作り上げる。
日本では関係性の中で自己を見る。
自己を規定し確立するというより、関係性の中で自己の位置を探る。
空気を読むというが、自己の考えより、他者との折り合いの中で意見を決める。
個々の存在は、つながり(関係性)によって定まる、と考えているようだ。
自己を明確にしないのだ。
古来より日本は、人や社会、自然を含め、万物をつながりで捉える傾向がある。
自己もつながりの中で見、自己の確立はあまり重要視しない。
これは一見、不完全にも見えるが、非常に柔軟な対応だ。
自分を取り巻く状況は変化する。
自己の基盤である世の中が変化した時、自己は揺らぐ。
己の立つ大地が崩れた時、何を頼りにするのか?
自己の中に自己を見つけるか、
様々な関係の中に自己を見つけるか。
個か関係性か。
天災に見舞われてきた日本の大地に住まう人々は、後者を選んだ。
だから個が明確にならない。
明確でないものを主張することは出来ない。
曖昧な自己を、やんわりと上手いこと主張出来ないものか。
(曖昧、やんわりの時点で主張とはかけ離れているような気もするが)
自らの文化背景を損なわずに、異文化とも分かり合えるような自己の主張のし方を考えたい。
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