共存(混在)する日本

日本では太古より、あらゆる文化文明をつなげ、共存してきた。

さまざまな文明が世界中で発展し広まった。大陸では、絶え間なく玉石混合で広まっただろう。

しかし島国である日本では、選ばれたもののみが、海を越え伝わってきたと思われる。

(価値のないものをわざわざ伝えるほど、航海は容易ではなかったはずだ)

大量に物や情報がなだれ込んでくる大陸では、個々の価値を吟味する目が重要になるが、島国では吟味するほどには入ってこない。

海を越え辿り着いた文物は、その先に行き場はないのだ、とりあえず受け容れ、後で吟味することになる。

結果、まるで海岸に打ち上げられた漂流物のように様々な文化文明が混在し、共存することになる。

そのあとが面白い、日本では流れ着き混在する文物を、そのままの形で受け入れたり排除したりするのではなく、つなげてしまうのだ。

日本在来のものと、外来のものをつなぎ合わせて、新しいものを作ってしまう。

和洋折衷などがいい例である。

戦国期に伝来した火縄銃も、鍛治職人の日本刀を作る技術で複製され、種子島銃が誕生した。

異質なもの同士をつなぎ合わせることに躊躇や迷いがない、そんな日本の文化体質に私は感動する。

古来の慣れ親しんだものと、新しいものをつなげる。これは、存在同士の垣根が高ければ成立しない。

日本では物や存在自体より、それらのつながりに焦点が当たっているからこそ、成し得るのだ。

太古の昔より、大海原の彼方からもたらされた貴重な物や情報は、人々に歓迎され重宝されたことだろう。

そして、それらを改良改造することに夢中になったことだろう。

種子島銃を作った鍛治職人のように、豊田喜一郎のように。

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